「ガンというのは、トイレットペーパーみたいなものだ。1枚のつもりでひっぱっても、ぞろぞろ10枚もくっついてくる」というウッディ・アレンの言葉から、この本は始まる(8頁)。
「乳がんは、現在、日本を含む先進諸国の女性死亡原因の第1位を占めています。かつては50代以上の病気といわれましたが、発病年齢の低下にはますます拍車がかかり、40代、30代の発病も珍しくありません」(10頁)。20代の若年性乳がんも増えてきていることは以前の記事に書きました。
「“治る”という希望を持てば、すでに半分治ったも同然」と、あの「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ」の言葉で有名なヴォルテールも言っているそうで(11頁)、これは知りませんでした。
「第1章 人生はいつ、どこで、ぷつんと切れるかわからない」
著者が乳がんではないかと疑い、診療所を訪れたときに、最新の健康診断はいつかと訊かれ、数年前だったことを思い出し、「生きるための屋台骨である自分の体にやさしい配慮を払ってこなかった自分が恥ずかしくなった」と述べています(15頁)。
フランスでは、自分自身の医療情報を自分の手元でデータを管理できるそうです。「医師の顔など気にせずにセカンド・オピニオンを求めるために別の医師を訪れることだって簡単だ」。「医療情報は患者に属する」という大前提に立っているからだそうです。「カルテなど、医師のもとに集積される情報は、医師を介在して閲覧するが、そのカルテとて、医師の個人財産ではない」。専門ラボなどで行った血液検査などの検査結果を直接本人に手渡せないときは、検査を指示した医師へ送ったのと同じコピーが患者の自宅に届くそうで、「場合によってはあまり知りたくもない情報が頼みもしないのに自宅に届くわけで、患者は日頃からそれなりの心理的準備を強いられる」(17頁)。日本とは違いますネ。自分のカルテなのに自由に見ることのできない点は、自己決定権の観点から、日本もフランスを真似てほしいですネ。
「フランス人は幼い頃から人権という言葉を頭の中に叩き込まれる。情報の権利は人権の一部で、その中には医療情報も含まれるのだよ、と教えられる。義務教育ではいまだに哲学教育を重視し、当てられた情報を、いかに自分の頭で吟味し質問できるようにするかを訓練させられる」。「ちなみに、2003年6月のバカロレア(フランスの高校生最終年を対象に行う大学入学資格試験)の哲学の問題のひとつは、『美は社会を変えることができるか』というもの」だそうで、「高校教師に言わせると、立派な理論を述べる必要は毛頭なく、要は、この課題に対して、自分なりに考えて反応できるかどうかを試すのが目的なのだという」(19頁)。こういうところが違いますからネ。日本も戦後、同じような土壌になれるチャンスがあったと思うのですが、違った方向に向かってきていますよネ。
「フランスでは給料の46%を各種社会保険のために天引きされる。スウェーデンの54%、デンマークの53%、ベルギーの46%と並ぶ高率社会保険料である。その上、それと別に税金を支払わされる。それもこれも国民が希望した社会福祉を実現するための必要経費であるということは後で理解したが、日本の社会保険率に比べたら格段に高い天引き率で貯金もできないと、健康だったときはいつも嘆いていたものだ」。「診療時、医療費の全額を支払い、後で健康保険の払い戻し率との差額が銀行口座に振り込まれるという仕組みになっているらしい。どうせ後で払い戻されるのなら最初から差額だけ支払えばいいという声も一部で上がっているが、最初から差額しか支払わないと、医療消費者としての市民が、そのときかかった医療費の全容を知る権利、すなわち民主主義の基本的権利を放棄するのにつながる、という意見が非常に強いからである」(24-25頁)。全額支払うのが厳しい人はどうなるのだろう?社会保険率も高いから貯蓄もできないわけでしょ、すぐに大金を支払うのって難しくないのかな、というのが素直な疑問。どうなっているんでしょう?あと、信頼できない日本の社会保険庁に高率の社会保険料を預けたくないな~、と思ってしまった日本人は悲劇だな~。
「フランスでは乳がん患者団体やマスコミの早期発見を目的とした乳がんキャンペーンが功を奏して、乳がんはじめガンという言葉がタブーの域を脱している。乳がん治療がかなり発達し、その結果、死亡率も激減しているため、死に至る病といった暗いイメージで捉える人も減っていた。そういう環境が本当のことを告げるのを容易にしてくれたと言えるだろう」(28-29頁)。
「ちなみに乳房再建手術は美容整形とは見なされず、そのため健康保険から100%払い戻しされる」。「女性のガンでいちばん精神的打撃を受けるのが乳がんだといわれる。乳房を切除すると明らかに外観が変わるからである。クオリティ・オブ・ライフを高めるためにも再建手術は必要なのである」(31頁)。
「国公立、私立含め、フランスの病院のほとんどが個室か2人部屋で、全員に個別の電話が提供されている」。「これは戦後の大医療改革によって、大部屋を廃止した賜物であった。それ以前は、国公立病院には何と兵舎並みに60ものベッドが並んでいた」「フランス国民が時間をかけてやっとその手に勝ち取った権利を存分に享受している自分を見出し、恐れ入ることもしばしばだった。その気持ちをフランス人の友人に明かすと、『人生はお互いさまよ、こんどはあなたがだれか困っている人を助ければそれでいいのよ』と言われた。日本で病気になっている外国人を思わずにいられなかった」(32頁)。
また、入院患者の権利をまとめた「入院患者憲章」の抜粋が、国公立私立問わず、病院施設には必ず目立つ場所に貼ってあるそうです(37頁以下)。
木立さんは、乳がんと分かった時に、当時付き合っていたボーイフレンドがこつぜんと姿を消されたという経験をしたそうです(43頁)。ちなみに日本人のボーイフレンドだったそうで。「乳がん患者の多くが、ガンに罹ってから、人に去られた経験を持つという」(44頁)。ピンクリボンキャンペーンのコピー大賞のノミネート作品を思い出しました。
「自分が乳がん患者であることを強く意識させられたのは、休暇で日本に戻ったとき」だそうで、民営のスイミングクラブで個人更衣室がないことがわかったときだそうです。その場で、金縛りにあったように立ちすくんだそうで、見ている人はいないのに、一方の乳房を欠いた姿を見てショックを受ける人がいたらどうしようと思った瞬間に体の動きが止まったそうです(47頁以下)。
乳がん撲滅ロビー団体のことも紹介されています(49頁以下)。女性であればだれもがヨーロッパドンナに入会できるそうで(年会費10ユーロ)、①乳がん患者と一般女性が情報、心情を交換し合ってこそ、女性全体、ひいては社会全体にメッセージが伝わるという考え、②患者のゲットー化を避けるためだそうです。
フランス東部ナンシー市に乳がん患者支援団体「シンフォニー」があり、女性だけでなく、男性も会員として活動しているそうです。男性も乳がんに罹ることがあるという事実を踏まえての参加というよりは、女性をこの世のかけがえのないパートナーととらえ、乳がんを男女共通の問題として考えようという気持ちからスタートされたそうです(50頁)。
「フランスでは、何歳になろうと愛情を人生の最重要課題と考える傾向があり、愛情を軸にした人生の選択に対し、社会全体が寛大なところがある。それで苦しむ人が出てこようと、「セ・ラ・ヴィ(それが人生というものさ)」なのだ。愛情を真剣に生きなかったら何のための人生?というところがある」(54頁)。わたくしも大学に入るまでは、そういう考えでしたネ。愛のほかに何があるんだって。でも、大学に入る頃ぐらいからはこの考えは変わりました。
黒澤明監督の「生きる」からも、人間が生きることの意味を真っ向から取り上げた映画として、取り上げられていました(62頁)。この映画は本当、考えさせられますよネ。
フランスでは、「医療費は国に任せておけばよくて、手術をして、乳がんと決定した場合、医師が『難病100%払い戻し条項」の指定患者としてフランス社会保険事務所に申請し、それ以降、乳がんに直接関係した医療行為は治癒したと見なされるまで、100%払い戻しされるということだ。化学療法などによって極度に疲労している場合は、外見からそうは見えなくても、身体障害者と見なされ、フランス国鉄などに限って、同伴者の交通費が半額になる措置もあるという。『難病払い戻し条項』でもっとも高い率を占めるのがガンとエイズである」。「なぜフランスでは民間の保険がまったく発達していないのか、なぜ社会保険料が税金は別にして給料の46%と異常に高いのか、なぜ郵便貯金高が少なくてもフランス国民がのんきにしていられるのか、その理由を初めて理解した」(65頁)。
第2章「病気は人生の一部ではあっても、死の一部ではないのよ~ジュリエット・グレコー」
フランスでは、男女ともガンが死亡原因の第1位を占めていること(男性は肺がん、女性は乳がん)、ガンに罹った場合は国が治療費を丸ごと面倒見るため国民健康保険の赤字が累積し、赤字を減らす唯一の方法は、禁煙対策と早期発見しかないという結論から、2002年、シラク大統領は政策の第1目標として「がん撲滅」を掲げた(69頁以下)。2004年からフランスに住む50歳から74歳のすべての女性がマンモグラフィの無料検診を受けることが謳われ(その後、50歳から35歳に引き下げられている)、2年ごとに4枚の映像を撮ること、映像を読み取る専門家を養成するなど、「見落とし」を防ぐことに重点がおかれているそうです。「形だけのおざなりの集団検診は予算の無駄遣いであるばかりでなく、見落とさなければ治るはずの患者まで無理やり重病人にしてしまうことがあるということを再確認した上」での政策決定だそうです。
「無頓着が災いして、患者の立場に立たされた人間の気持ちをおもんぱかることを知らなかったわたしによって、傷つけられた人もきっといるに違いない。その人たちに今、謝りたい」。これは、きっとわたくしにもあると思う。悪気はもちろん、ないのだけれど、自分の無知・無頓着により知らない間に傷つけたことがあると思う。これは、乳がんだけではなくて。よく、「相手の立場に立って考えること」の重大性が言われるけれど、そんな簡単なものではないと思う。自分も、ある点について、マイノリティーになったことがあるのだけれど、そういう立場に立って初めてわかることはたくさんありました。「知的想像力の問題」と木立さんは言います(71頁)。
「『骨転移は今や治る転移です。乳がん治療の進歩には目覚ましいものがありますからあまり心配するにはおよびません』」と放射線医師の説明があったそうです(74頁)。川村カオリさんも骨転移があるとの告白がありましたが、ぜひ、頑張って治してほしいと思います。「骨転移というのは、中身ではなく箱に問題が起こったようなものだから、それほど深刻になるな」(75頁)。
クオリティ・オブ・ライフという考え方は、80年代初頭に欧米で広まり、「医師はもはや治療を選ぶだけではよしとせず、もっとも効果的な手段を持って、患者の不便さを最小限に抑えながら病気と取り組む努力をするようになった。その根底にあるのは、『病気は生き延びるだけでは十分とは言えない。生き延びるに足る条件の下で生きる必要がある』という考え方だ」。「クオリティ・オブ・ライフを測るバロメーターとして、人体機能が体に与える満足度、治療結果がおよぼす体の不便さ、感情・不安などの心理状態、対人関係の4部門」をフランス腫瘍心理学協会は挙げているそうです(82頁)。QOLという言葉は仕事がらよく聞いてはいましたが、この言葉をより深く理解できたような気がします。
「日本の新聞に、乳がんから骨転移し、ホスピスケアを受けていたが、奇跡的に治癒し日常生活に戻ったという女性の話がとても大きく取り上げられていた。いわゆる感動秘話というやつである。どの程度の骨転移かの詳細には触れられておらず、骨転移とホスピスの文字だけが大きく前面に押し出されていた。その記事を読んだ読者はだれでも、感動するような劇的な書き方である。ただし、あくまでも患者以外の読者は、という条件付きである」(83頁)。「読者の受けを狙った感動記事が予測もつかない不安をまきちらすこともある」。「ガンともなると人を不安に陥れるサスペンスがぎゅうぎゅうに詰まっている。ホスピスから回帰した女性の浪花節的記事の横に、小さくてもいいから骨転移治療の最新情報を伝える記事があったら、一部の読者の動揺は最小限に抑えられたと思う」。「ガン治療のための研究はすごい勢いで進んでいるが、一般に流布しているガン情報が、必ずしも最新情報であるとは限らない。それどころか、たいていは数年前に家族や親戚がたまたま遭遇した情報であることが多いのだ。正しい情報が必要なゆえんである。情報を送る側に身を置いてきた者として、ホスピスから社会復帰した女性の記事には身が引き締まった」(85頁)。ここは、「だれのための報道か」という題がつけられています。ピンクリボンキャンペーンの話は、以前から少し書いてきました。多くの方は、純粋な気持ちでかかわりを持たれていると思うし、そのような活動をしていると思うのだけれど、「患者以外の読者は、という条件付きである」との言葉が示しているように、患者さんたちの気持ちを十分に踏まえているのか、疑問に感じることが多々ある。マスコミは「第4の権力」と言われることを本当に分かっているのか、意識しているのか。
日本でもガンの在宅治療が叫ばれ、日本でもガンの在宅治療が推進されている現在、民間医療保険のコンセプト自体(契約内容が病院の宿泊代の保証と化していること)が(治療そのものに対する保証に)見直されてしかるべき時期に来ているのではないだろうか(86頁)。入院も通院もしていない、自宅の錠剤治療だと給付が断られたことから(85頁)、このように述べられています。
「落ち込みを防ぐ秘訣を教えてくれたのも友人たちだ。それは、どんな困難なときにも、困難さの中からささやかな喜びの種、つまりシャンペンで乾杯する口実を見つけ出し、相対的にふさぎ虫を小さくするということ」(92-93頁)。
「サルモン先生はその1年前、交通事故に遭いしばらく入院していた。長年医師を務めてきたけれど、文字通り患者の目線で医療を見るのは初めての経験だったと言う。医師、看護師の言葉が、どれだけ患者の治りたいという気持ちに影響を与えるかが痛いほどわかり、仕事に復帰してからは患者との距離がぐっと縮まったと告白していた。患者が心配のあまり、『先生、ちょっと』と話しかけたとき、『今時間がない」と答えるか「5分はないけど、4分ならあるよ』と答えられるか。『瓶には半分も入っている』と考えるか、『半分しかない』と考えるか。わらにもすがりたいときの心理を医師が理解しているか否かで状況が変わる」(93-94頁)。ここは、大事ですネ~。相手の立場に立って云々とさきほど書きましたが、まさにこのことですよネ。
ギリシャの哲学者エピクロスの言葉「生きている限りは死は来ず、死んだときはわれわれは存在しないから、したがって死を怖れる必要はない」(95-96頁)。あこの言葉を受けて、木立さんは「死ぬということは生きるということだ」と述べています。実は95頁には、ガン専門医は次なる転移、再発が予測できないため「治癒」という言葉を使いたがらない、本当に治癒したといえるのは、患者が、その国の平均年齢に達したときで、木立さんの場合は、日本女性の平均年齢に達したとき、70歳を優に超えなくては科学的に治ったのかどうかがわからない、という記述があります。実は、木立さんは、2006年3月9日、パリで逝去されました(52歳)。しかし、その記述の後に、「70歳を超えたということは結果論であるから、そのためには、やはり、いまこの一瞬一瞬をしっかり生きていくしかなくなるということになる」と述べられています。
「わたしが敬愛するシャンソン歌手のジュリエット・グレコから『病気は人生の一部ではあっても、死の一部ではないのよ』と勇気づけの言葉をもらったことがある。インタビュー中のことだ。わたしが乳がんに罹っていることを知っての言葉であった。気分がふさいだときは、愛すべき友人たちの顔とともにこの言葉を思い出して、気分を奮い立たせることにしている」(105頁)。すごいな~。グレコさん。
この本の105頁、115頁で紹介されているキャロル・ハーシュバグ、マーク・I・バリシュ著、安次嶺佳子訳「癌が消えた~驚くべき自己治癒力」(新潮文庫)、ノーマン・カズンズ著、松田銑訳「笑いと治癒力」(岩波現代文庫)は、読んでみようと思います。自己治癒力については、免疫革命等の安保徹先生の本で、わたくしも人間が持っている生命力の強さを信じています。
ここから先もまだまだ自分にとって、メモしておきたい参考となる箇所はとても多い本です。看護師の心理学研修の話(122頁)、ホメオパシー(131頁以下)、気功でガンに克つ(135頁以下)、病院でエステティック(145頁以下、特にCEWフランスの話。151頁)、腫瘍心理学相談室の話(153頁以下、特に154頁「絶対にとってはいけない行動のひとつに、ガンの原因をストレスや精神状態に直接結びつけてしまうこと」との指摘。「ガンはDNA(遺伝子)の配列にエラーが生じたために起こる現象であることは証明されているが、なぜエラーが生じたかの原因がまだ明らかにされていない」。)。第3章「治りたかったら、良い子になってはいけない」では、主に、日本文化論・女性論が述べられています。
読んでいてどうしても気になったのは、1つ。173頁に「母国語の低下」として言葉の問題を取り上げているんだけれど、「ずつ」が「づつ」と表記されているんですよネ。日本語の美意識の問題なので、主観的なものになってしまうかもしれないのだけれど、現代仮名遣いは「ずつ」が正しい。「づつ」は歴史的仮名遣いで、本来的にはこちらなんですがネ。テレビのテロップでも「づつ」がよく出てくるんですけれど、やめてほしい。ただ、表面的な問題であり、この本のもつ価値は失われません。ぜひ、一読をお勧めします。
川村カオリさんの友人の吉川晃司も、10月1日にピンクリボンに関連するコメントで「この世のすべての命よ、みんな頑張れ!」(モバイル・キャストより)。わたくしは吉川のこういうところが好きです。