刑法

2009年9月26日 (土)

刑法読書歴。

刑法を勉強し始めようとしたときに、最初に読んだのが前田雅英先生の刑法でした。当時は、「分かりやすい!」という評判で、ゼミの先生に勧められたからでした。

読み始めて、たしかに面白く感じました。ドイツ、ドイツという学者の中で日本流のモノがあるのではないか、という姿勢は共感しました。

しかし、最初は結果無価値論の「違法性はあくまでも客観的」にという主張に、納得できませんでした。行為者の主観によって違法性の重さは変わるんじゃないの?と素人的に思っていましたネ。

いまでは、最初に読むべき本は前田先生の本ではないと思っています。大塚先生だなーと思っています。刑法が分かりだしたのも、大塚先生を読み終えてから。団藤先生を本当は読むべきなんだろうけれど、分かりやすさで大塚先生。その後、平野先生の本で刑法学の面白さを知りました。大塚・平野先生の本を読んで、前田先生の1文1文が分かってきたように思います。

前田先生は、「同意」のところで自己決定権を重んじるところ、違法性論のところで客観面を徹底するところ、構成要件的故意の説明が良いと思っています。

そして西田先生か、山口先生と続けば良いのではないでしょうかネ。もっとも、西田先生や山口先生だけでは、色々と足りないところがあると思いますが。

あ、堀内先生も個人的にはいい本だと思います。総論の辞書的に使う本として、内藤先生の本がありますが、ページ数の割には実は読みやすいですよネ。

2009年7月16日 (木)

前田雅英先生のHP

今日は、暑かったですネ。東京は梅雨が明け、夏本番!しかし、太陽の光は、ジリジリと肌を焼くような、痛さを感じます。

ところで・・・

刑法の前田雅英先生(首都大学法科大学院)のホームページって・・・いじられていませんかネ・・・。

http://home.h07.itscom.net/maedam/

「指揮権発動というでたらめ」というところがあるんですが、クリックしても、前から掲載されていた「ID犯罪の現状」の文章ですし。

http://home.catv.ne.jp/rr/maedam/index.htm

「医学界のでたらめ」というところがあるんですが、やはりクリックすると「ID犯罪の現状」。

http://www.comp.metro-u.ac.jp/~maedam/index.htm

「指揮権発動:でたらめな政治と司法の関係の理解」とあるんですが、こちらはリンク切れ。

前田先生がやったのかな?首都大の人、聞いてみてくださいナ。もし、前田先生が本当に書いたのなら(こういうテーマの文章もかきそうだからナ~)・・・やはり保守的だな~と納得。でも書かないんじゃないかな。どうでしょう?

2009年5月 5日 (火)

公然わいせつ罪(刑法174条)

刑法174条 公然とわいせつな行為をした者は、6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

SMAPの草彅剛さんが公然わいせつ罪の現行犯で逮捕されたことは、記憶に新しいところです。

「深夜、公園で全裸でいた」との報道です。

この報道を聞いた際、「え、これだけで逮捕?」「しかも家宅捜索?」というのが率直な感想でした。

公然わいせつ罪で捕まるのは、もう少し、悪質な事犯なんじゃないの?

前田先生も、「早朝の道路・公園等で全裸になる行為は本罪に該当しないと解すべきであろう」(前田雅英『刑法各論講義(第4版)』480頁)と述べています。

本罪の実行行為は、公然とわいせつ行為をすることであり、全裸になったことは「わいせつ行為」に当たる。

公然とは、不特定または多数人が認識しうべき状態のことで(最判昭32・5・22刑集11巻5号1526頁)、不特定であれば少数でもよく、多数であれば特定の人の集団でもかまわない(前田・前掲)。そして、それらの者がわいせつ行為を実際に認識する必要はなく、認識する可能性があれば足りる。問題はその可能性の程度であるとして、上記記述がなされている。

今回の事件では、目撃者がいるとのことなので、認識可能性もあるんだろうな。なので前田先生の上述の記述とは前提が異なるだろうな~。構成要件には該当するだろう。

しかし、当罰性はないんじゃないかな~。ちょっと警察署でお灸を据えて終了じゃないの?というのが感想。

酒による失敗って、結構、多くの人が経験しているんじゃないかな。

悪質性が今回に関しては少ない(自分の部屋と勘違いしていた可能性もあるし。まあ、そこまで酔っぱらうな~っていうところはあるのかもしれませんが)と思っているので、早い復帰もあって良いと個人的には思います。

2009年2月12日 (木)

西田典之「刑法総論」弘文堂を再び読んでいます。

西田典之先生の「刑法総論」を再び読んでいます。

法律学講座双書 刑法総論

まず、誤植情報。気づいたものだけですが・・・。

71頁(1)身分犯2行目「ものもがあり」→「ものがあり」

97頁12行目「客観的説」→「客観説」

116頁注8)4行目 鎮目征樹准「刑事製造物責任における不作為反論の意義と展開」→「刑事製造物責任における不作為犯論の意義と展開」

読みやすいですよネ。2001年度の講義テープを起こしファイル化したものに加筆・訂正したものということですので、読みやすく分かりやすいです。「共犯の部分が論文集のようなものになっている」とのことですが、そんなことはなく、読みやすいです。判例も多く掲載されており、刑法の理解には欠かせないのではないでしょうか。

ただ、刑罰論・罪数論・刑法の適用範囲などはあっさりしすぎなので、別の書による補充が必要です。刑法6条も・・・。

刑法は裁判規範であるが、その当然の前提として禁止規範(行為規範)を含むものである(5頁)。

刑罰の本質は応報としての害悪苦痛であるが、その目的は犯罪の防止である(相対的応報刑論)。刑罰の目的は法益の保護・犯罪の抑止にあるが、あくまで刑罰の歯止め応報刑論を取り入れる。また、相対的な意思の自由を前提として、刑罰を犯罪に対する責任非難として理解することになる(18-19頁)。

ここで佐伯先生の法教283号43頁以下の「国家レベルでは予防刑論、個人レベルでは応報刑論」という使い分けを疑問であるとしています。佐伯先生の考え方も以前にレジュメ形式で載せましたが、納得できる理論なんですよネ。

一定の禁止規範には必ずその目的があり、それは法益の保護である。それゆえ、刑法の規範は、何が刑罰をもって保護すべき法益であるかを決定する評価機能をもち、その評価に基づいて禁止・命令を発する命令機能をもつことになる。このように、刑法の任務の第一は、現在の社会における重要かつ基本的な価値・法益の保護である。とすれば、犯罪の本質、すなわち処罰根拠は客観的な法益侵害という犯罪結果、またはその結果発生の危険に求められることになる(法益侵害説。結果なければ犯罪なし)(29頁)。

刑罰とは、人間の規範違反的行為をコントロールするための「最後の手段」である(31頁)。

刑法は、さまざまな価値観の共存を保障しなければならない。そのため、いかなる価値を保護していくべきか否かの選択基準としては、他人の法益・生活利益を侵害する行為であるか、他人に害を及ぼす行為であるかということが基本とされるべきである(32頁)。

刑法の第一次的機能は法益保護の機能であるが、第二次的機能として、国民の行動の自由を保障するという機能をも有している(37頁)。

刑法とは、刑罰という制裁を予告することによって、人間の行動を犯罪を犯さないようにコントロールするシステムである。それゆえ刑罰法規は行為の事前に告知されなければコントロールの機能を発揮できないことになる(罪刑法定主義)。しかし、いかに事前に罪刑が法定され予告されていても、具体的な場合に行為者の心理を通じて規範によるコントロールの可能性がなければ、刑法は機能しえないし、機能すべきではない。刑罰の目的が犯罪の予防にあるとしても、刑罰の本質が応報である以上、行為者に対する非難可能性・他行為可能性が必要である。だとすれば、禁止規定が事前にあったとしても、具体的行為時に、行為者が主観的に行為を回避する可能性を有していたことが必要である。すなわち、故意・過失が必要なのである。このように、ある行為を処罰するには、当該行為を回避しえなかったことについて格子屋を非難できることが必要である(責任主義)(41頁)。

このあとの42頁の説明も良いですネ。罪刑法定主義は客観面において国民の行動の予測可能性を保障する原理、責任主義は主観面において国民の行動の予測可能性を保障するものなのである。責任主義は、国民が、いつでも犯罪者として糾弾される可能性をもつという “立場の互換性” の見地からも、セーフティネットとして要求されることになる。

犯罪論の体系は、①構成要件該当性(罪刑法定主義より)→②違法性(法益保護原則)→③有責性(責任主義)の順番で段階的に判断される。犯罪論の体系は、犯罪の成立要件を明確にし、裁判官ひいては捜査・訴追活動に携わる警察官や検察官の判断をコントロールして刑法の適用を適正なものとすることを目的としているのである。また、形式的な判断から実質的判断へ、客観的要素の判断から主観的要素の判断へ段階的に進めることによって裁判官の判断の適正さを担保しようとしている(58~61頁)。

 構成要件該当性を独立の犯罪成立要件とし、犯罪とは、「構成要件に該当する違法かつ有責な行為であるとする三分的犯罪論体系が通説である。犯罪の主体、結果、故意、過失、一定の身分、主観的要素、構成要件的状況、客観的処罰条件が構成要件を形成する要素である。このように、構成要件はさまざまな要素から形成されている。そして、構成要件が可罰的な行為の類型である以上、これらの要素も、行為の違法性または有責性のいずれかと関係するものである。その意味で、構成要件は違法・有責類型なのである。
 構成要件に該当しただけでは違法性・有責性が推定されたとは言えないとする行為類型説は、違法推定機能を否定するために、かえって違法判断において構成要件外の倫理的判断を考慮する余地を残すし、反対に、可罰的違法性のない行為までも取り込むことになって妥当でない。
 違法行為類型説は、①結果無価値論から、故意・過失は責任要素だから構成要件に含まれないとする平野・山口説、②行為無価値論から、故意・過失は当然に違法要素としての構成要件要素であるとする見解に分かれる。
 ①説は、構成要件の犯罪個別化機能が失われると②説から批判されるが、①説は責任の段階で区別される以上、本質的な難点とはいえない。むしろ、①説の問題点は、構成要件を違法行為類型と解したうえで、構成要件の故意規制機能との理論的結合を図るところにある。たとえば、証拠隠滅罪・常習賭博罪・偽造通貨収得後知情行使罪などにおける主体の限定には、行為者に対する非難可能性・期待可能性の欠如や減少が類型化されているといわざるを得ない。だとすれば、これらの客観的責任要素を構成要件要素ではないとして、これを故意の対象から外すことは不当だと思われる。行為者が自己の刑事事件の証拠だと誤信して他人の刑事事件の証拠を隠滅した場合、証拠隠滅罪の故意は否定されねばならない。
 そこで、違法・有責行為類型説を採用することになるが、この説も、①故意・過失を責任要素であるとともに構成要件要素であるとする見解(前田・曽根・佐伯)、②故意・過失を違法要素・責任要素・構成要件要素であるとする説(団藤・大塚・大谷)などに分かれる(その他、町野説)。②説が同一の要素を違法要素であるとともに責任要素であるとする点は区別の実益を失わせるものであって妥当でない。
 犯罪論体系の判断の順序については、違法構成要件該当性の次に違法阻却を、責任構成要件該当性の次に責任阻却を判断する見解を採用する(構成要件的故意の否定)。故意・過失などの主観的要素、証拠隠滅罪における「犯人であること」などの客観的要素は責任構成要件の要素と解するものであり、違法構成要件と責任構成要件の組み合わせによって犯罪類型が形成される。
 犯罪が可罰的な違法行為・有責行為の類型である以上、構成要件も当然に違法構成要件と責任構成要件が組み合わされた違法・有責行為類型でなければならない。その場合、客観的責任要素は当然に故意の認識対象に含めるべきであるから、故意規制機能という点からみても構成要件を違法構成要件に限定することは妥当でない。また、故意・過失も可罰的な責任を類型化するものであるから、やはり責任構成要件の要素と解すべきである。
 構成要件理論を上記のように解する実益は、①保障機能の堅持、②犯罪個別化機能の維持、③刑訴法335条に対応する訴訟法的機能、④ブーメラン現象の回避(構成要件的故意の否定)、⑤保障機能を共犯の領域においても確保できる点、にある(65-70頁)。

とりあえず、ここまで簡単なまとめ。読んでいるのはもっと先に進んでいるのですが・・。

2009年2月 2日 (月)

井田良「講義刑法学総論」その5

113頁以下「第6章 結果と因果関係」

因果関係は、結果犯における構成要件要素である・・・結果犯における「結果」とは、形式的意義における結果であり、構成要件がその発生を要求している一定の事態のことである・・・(因果関係論において)問われるべきことは、その行為がその結果を引き起こしたことを理由にして、その行為につきより重い違法評価(既遂は未遂と比べてより重い違法行為である)を与えることができるかどうかである・・・刑法における因果関係とは、結果発生を理由としてより重い違法性評価を肯定できるかどうかの問題であ(る)・・・違法評価の中核が行為に対する評価であり、そしてその評価を通じて将来の同種の結果の回避という一般予防効果を達成しようとするのであれば、行為のもつ高度の危険性が結果の発生により確証された(行為のもつ危険が結果として現実化した)という場合にのみ因果関係を肯定すべきである。

条件関係の存在は、法的因果関係を肯定するための事実的基礎である・・・条件関係の判断は、(事実的つながりという)関係があるか、それとも無関係であるかを確認するための判断である・・・通説によれば、条件関係は、その行為がなかったと仮定したとき、そのような経過をたどってそのような結果が生じることはなかったであろうと考えられるという仮定的消去法の公式で表現される・・・逆に、その行為を仮定的に消去したとき、それでも結果はやはり生じたであろうと考えられるのであれば、条件関係は否定される・・・(この)仮定的消去法の公式を適用するにあたっては、行為も結果も抽象的にではなく、具体的・個別的に把握されなければならない・・・具体化されたその時点・その場所におけるそのような態様の(結果)として把握しなければならない・・・(これは)法はあらゆる形態の侵害行為から法益を保護しようとしており、仮に他の態様の結果発生が蓋然的ないし確実であったとしても、そのことを理由にその行為からの法益の保護を放棄することはないと考えられるから(である)。
 仮定的消去法の公式の適用にあたっては、現実に存在した事実をそのまま前提としつつ、実際に行われた、行為者の実行行為のみを取り除いて判断しなければならず、仮定的事情の付け加えは禁止される・・・ただし、不作為の条件関係の判定にあたっては、仮定的に当該の不作為を取り除くことが必要となり、それは、実際には行われなかった仮定的作為を付け加えることを意味する。

 作為犯においては仮定的事情の付け加えは禁止されるという原則を形式的にあてはめると、不当な結論が導かれることがある(毒蛇事例)。Aが毒蛇にかまれ、救助義務者である医師Bが血清入りの注射をしようとしたときに、(法的救助義務のない)甲がアンプルを損壊して注射を不可能にすることにより、Aを死亡させたという事例で、もし血清を注射していたであろうという仮定的事情の付け加えが禁止されるとすれば、甲の行為がなかったとしてもA死亡の結果が発生していたことになるから、不当にも条件関係が否定されてしまうことになる(もっとも、121頁の注1参照)

 そこで、井田先生は、合法則的条件公式を採用する説を支持する。合法則的条件公式によると、行為と結果の間をつなぐ事実的経過を1コマ1コマ順次にたどりつつ検討したとき、それぞれが自然法則により説明できる形でつながっている場合に条件関係が肯定される。毒蛇事例では、甲が血清のアンプルを壊す→医師Bが血清を注射できない→毒蛇にかまれたAが死亡するという事実の流れは、自然法則により説明可能な形で飛躍なしに結合していることから、条件関係は肯定できるとする。仮定的条件公式と合法則的条件公式とは、その結論において同一であるが、後者は、直截・簡明な点において通説より優れているとする。

 わたくしも、仮定的条件公式よりも、合法則的条件公式の方が優れていると思います。潮見先生の不法行為を読んだときに、ああ、やっぱり合法則的条件公式の方が分かりやすいと思いました。「因果法則の適用公式ではあっても、因果法則の発見公式ではない」(西田87頁)。

 まあ、井田先生も指摘されるように、循環論法という批判はありうると思うのですが。

2008年12月26日 (金)

井田 講義刑法学 総論 その4

忙しいので、少しずつのUPとなりますが。

第5章「構成要件」第1節意義以降。

第3節「構成要件と他の犯罪要件との関係」では、4分説(行為→TB該当性→Rw→S)を批判し、3分説(TB→Rw→S)を採る。

そして、構成要件は違法類型であることを説き、違法類型であることを徹底して、違法性阻却事由の不存在も構成要件要素だとして、消極的構成要件要素の理論を採用する(92頁)。法益侵害行為とそうでない行為とは、いずれの行為も、違法性がない行為(適法行為)という観点から、大きく同一のグループに分類されるとする。

しかし、違法・有責類型説の通説とは異なり、有責類型であることは認めない。TB該当性が認められても、それは責任判断の一部が行われたにすぎず(責任能力は構成要件要素と通説も認めていない)、責任が推定されることもないので、TB該当性とRwの関係とは大いに異なることを理由とする(94頁)。

故意と過失を純然たる責任要素と理解しつつ、これを有責類型として構成要件の要素として位置づけるとすれば、TB該当性の判断が行われることにより、重要な責任要素の存在が確認されることになり、責任推定機能を認めることも可能ではないか、という論に対しては、

① 違法類型である構成要件該当性の判断の段階で、重要な責任要素まで考慮するならば、違法性と有責性との混交が生じ、体系上、責任の存否と独立に(それに先立って)違法性の有無を確定することが不可能となること、
② 構成要件と違法性の間だけでなく、構成要件と責任との間に密接不可分な関係を認めるとすれば、犯罪の成否を1回的に判断することに近づくおそれがあること、

などから、構成要件は違法類型であるが、有責類型ではない、とする(94頁)。

消極的構成要件論を採るのに、「犯罪の成否を1回的に判断することに近づくおそれがある」って、どうなの?っていうのが印象・感想。この後の、説明を楽しみに読み進めてゆきます。

法人の刑事責任については、師匠の福田先生の法人犯罪能力否定説は採らず、肯定説を採用しています。行為責任と監督責任の区別が説かれ(刑法の教科書ではここを書いていないものがあるので、好印象)、監督責任の場合の法人処罰を基礎づける過失については、判例が過失推定説を採ることの説明だけが行われています。

犯罪の分類のところで特色のあるところは・・・

1.不可罰的事後行為は、正確には「共罰的事後行為」と呼ばれるべきであるとされていることに賛同(104頁)。

2.正当防衛の要件としての「不正の侵害」は構成要件に該当する行為である必要はないから、継続犯であれば正当防衛が可能であり、状態犯であれば不可能であるというように一般化できるものではない(105頁)。

3.主観的構成要件要素について
 
;結果無価値論によると、一定の主観的要素の存否が外部的行為のもつ法益侵害の危険性の有無・程度に影響する場合に限り、主観的違法要素が認められる。甲がAの背後でピストルをAに向けその引き金に指をかける行為は、もし殺意をもって行われるならば、生命という法益に対する危険性をもつが(次の瞬間にAの死亡をもたらす危険がある)、もし引き金を引く気が全くなく単なる悪ふざけのつもりであったとすれば、そこに生命侵害の危険性は存在しない。結果無価値論は、この事例のように、法益侵害の危険性の存否・高低が行為者の主観に依存している場合にのみ、主観的違法要素を肯定する(佐伯仁志、西田、林、平野、山口)。
 このような意味における主観的違法要素(結果無価値要素としての主観的違法要素)が認められる典型例は、目的犯である(110頁)。

 ここの説明はうまいですネ。最初に前田先生の刑法総論を読んだときに、前田説は主観的違法要素を認めないので(上記事例では危険性は同じと考えることになる)、すごい違和感を感じたのを思い出しました。いまは、前田説もわかるのですが、目的犯、とくに偽造罪の説明が弱くなってしまうと思います。

4.違法要素としての故意・過失

 最近の行為無価値論は、刑法の任務は法益の保護にあるとする立場から、行為規範論に基づき、故意を違法要素として把握することの方が、刑法の一般予防目的に照らしてより合理的である。
 刑法が法益を保護するための手段は、行為規範(行動準則)を通じての行為統制、すなわち、一定の行為を禁止する規範を規範の名宛人たる人々に向けて明示し、その違反に対して刑罰を科すことによって規範の効力を維持し、人々を規範に従った行動へ導くことである。そして、行為規範の内容は、行為者が何を認識しているのか(故意があるのかないのか)によって異なる。・・・過失行為を禁じるためには、故意の行為を禁じるのとは別の規範が必要である。故意犯と過失犯とでは規範が異なり、したがって構成要件が異なる。・・・そして、より効果的な法益保護(一般予防)のためには、法益侵害・危険に向けられた意思的行為を、そうでない行為と比べてより強く禁止し、より強い規範的行動を加えなくてはならないことも当然である。
 このように、法益保護の見地から、故意行為を禁止する規範と、過失行為を禁止する規範とは、刑法規範として区別されるべきである。故意犯と過失犯とは、それぞれ異なった規範に反する行為であり、また、その違法性の程度において異なっている。このようにして、故意・過失は、未遂の場合に限らず違法性の有無・程度に影響をもつ違法要素として理解されなければならない。

 故意犯と過失犯とが異なった規範というのは、分かります。しかし、違法性の程度も異なるのか。むしろ責任の程度の違いじゃないのかな。被害者側に立って考えたときに、人一人が死んだという場合、故意で殺されようが、過失で死に到らせた場合であろうが、法益侵害の度合は変わらないという結果無価値論の議論の方が、納得できます。客観的な悪さ(違法性)と主観的な悪さ(責任)とを分けて考えた方が、良いのじゃないかな~。こういう考え方をしているわたくしが、最後まで読むと、心を動かされるのかな~。

 以上、第5章まで。

2008年12月21日 (日)

法学教室283号(2004.4) まとめ その1

一.佐伯仁志「刑法の基礎理論」(法教283号43頁以下)

 Ⅰ 刑罰理論
  1.刑罰の意義に関する諸説
     ;刑罰は、国民の自由・財産、ときには生命さえも奪うものであるから、その正当化が必要。刑罰の意義・本質を論じることの第1の目的は刑罰の正当化根拠を明らかにするため。

   ア)応報刑論
      ;刑罰は、罪を犯した者に対してその責任に応じて科すもの。そのような応報の実現が正義にかなっていること自体によって正当化されると主張。

   イ)目的刑論
      ;刑罰は、犯罪を防止するために科すもの。犯罪を防止することによる社会全体の利益によって正当化されると主張。
    ① 一般予防論
       
行為者に刑罰を科すことによって、一般国民による将来の犯罪を防止。
    ② 特別予防論
       ;
当該行為者による将来の犯罪を防止。

   ウ)通説=相対的応報刑論(統合説)
      ;刑罰は応報であると同時に犯罪予防の効果を持つことによって正当化。

  2.応報刑論の問題点

   ア)長所
      
;行為者の責任に応じた刑罰だけを正当化することによって、責任主義と罪刑の均衡を基礎づけることができる。

   イ)短所
      
;刑罰を科すことが正義にかなった良いことだと考えるので、必罰主義に陥るおそれがある。絶対的応報刑論は積極的責任主義と結びついている。
       ;応報刑論が基礎に置く行為者の責任は、自由意思を前提にしているが、自由意思は科学的に証明されていない。
       ;応報による正義の実現は、国家の任務ではない。現代国家の任務は、国民の利益を守り社会の福祉を増進させることにあり、正義の実現にあるわけではない。

   ウ)上記イ)より、絶対的応報刑論だけではなく、相対的応報刑論であっても、国家の刑罰制度を応報の観点から基礎づけようとする見解は、とりえない。

  3.目的刑論の問題点

   ア)長所
      
;刑罰の犯罪防止効果を問題にする点で、刑罰を合理的・科学的に論じることができる。

   イ)短所
      
;刑罰による犯罪者の改善効果や一般予防効果は、多くの実証的研究にもかかわらず、科学的に証明されていない。

        ⇒佐伯44頁
          ;国の政策は、その効果が相当程度信頼できるものであれば、科学的に完全に証明されている必要まではない。その意味では、少なくとも一般予防の効果は、国家の刑罰制度を正当化する程度には、信頼できるものではないか。

   ウ)特別予防論の問題点
      ;犯罪者の改善に必要な限り、軽微な犯罪であっても長期の拘禁刑が正当化されてしまう。
      ;どんなに重大な犯罪であっても、再犯可能性のない行為者に対しては、刑罰を科すことができない。
      ;特別予防論にとっては、客観的行為よりも行為者の危険性の方が重要であるから、特別予防論と犯罪論が結びつくと、刑法が主観化して処罰範囲が広くなってしまう。

   エ)一般予防論の問題点
      ;一般予防の必要性が大きければ、行為者の責任の量を超えた刑罰が正当化されてしまう。

   オ)積極的一般予防論の問題点
      積極的一般予防論
       
= 規範の実効性に対する国民の信頼を維持・強化することを問題にする。国民の正義観念に反するような過酷な刑罰を科すことは、国民の規範に対する信頼を弱体化させ、刑罰の一般的予防効果を減少させるので、正当化されない。たしかに、一般国民が犯罪を行わないのは、刑罰が怖いからではなく、犯罪になるような行為をはしていけないことだと考えているからである。

        批判
         
;積極的一般予防論は、規範が守られている状態それ自体が重要と考えるため、逆に、規範違反があれば常に処罰すべきであるという立場につながるおそれが強い。

           ;積極的一般予防論から罪刑均衡の原則を本当に導くことができるのかも、明らかでない(ヘーゲルの絶対的応報刑論に一般予防論の衣を着せただけ)。

   カ)消極的一般予防論
      ;
刑罰による威嚇を問題にする。
       
       ☆ ある犯罪に対する刑罰を重くしすぎると、他の犯罪に対する抑止力が失われてしまうから、重ければ重いほどよいというわけではない。仮に強盗の刑罰が死刑であれば、強盗犯人が被害者を殺害することに対す刑罰の抑止力は働かなくなってしまう。

       ★ 一般予防論のより根本的な問題は、一般国民を予防する効果によって個人に対する刑罰を正当化できるのか、という点。

       ⇒ 憲法が保障する基本的人権は、功利主義的主張に対抗する「切り札」しての役割を有しているのであり(長谷部憲法を引用)、国民多数の利益のために個人の人権を犠牲にすることは許されないはずだからである。したがって、個人に刑罰を科すことの正当化は、犯罪防止という社会の側の利益ではなく、当該個人の責任に求められなければならない。


  4.応報刑論と目的刑論の統合

   ア)ロクシン
     ;
刑罰の意義を一般予防に求めながら、責任による外在的制約を認める。応報刑論から導かれる責任主義と罪刑の均衡を、刑罰の基礎づけとしてではなく制約原理として認める。

      ★ 責任を単なる制約原理として刑罰の本質から除外してしまう結果、刑罰と保安処分の区別がなくなってしまう。

   イ)佐伯
     ⇒ 
応報は国家の任務でないから、刑罰権の正当化根拠として応報刑論を用いることはできない。しかし、刑罰に応報的非難の性格も持たせたい。そんな都合のいい理論構成は・・・ハートの理論。

   ウ)ハート
     ;
国家の制度としての刑罰制度の個人の処罰の正当化(マクロレベルの正当化)と特定の個人の処罰の正当化(ミクロレベルの正当化)を区別した上で、刑罰制度の正当化としては一般予防論を採り、個人処罰の正当化としては応報刑論を採る。このように考えることで、刑罰論と国家観との整合、法的非難としての刑罰の本質、罪刑の均衡の要請、消極的責任主義という課題をすべて充たすことができるのである。自由意思の問題についても、刑罰制度の必要性を前提とした上で、そのような刑罰制度をどのように運営することが、憲法が要請する人間の尊厳と自律性の尊重と調和的なのか、という問題として考えれば、自由意思を仮定した責任を基礎に置く刑罰制度の方が望ましい、ということができる。

   エ)刑罰論の注意すべき点
      ;応報刑論は、責任に応じた刑罰が正当であるとするものであって、結果に応じた刑罰が正当とするものではない。

      ;応報刑論でいう応報とは、被害者や社会の応報感情の満足とイコールではない。

2008年12月13日 (土)

井田「講義刑法学 総論」その3(訂正 再UP②)

「結果無価値(では)・・・、違法評価の対象が人である必要はなくなる」(85頁)。

・・・対物防衛の話か~。でも、正当防衛の「不正」と処罰の一般的要件としての「違法性」は別だと思いますし(前田336頁)。

「(結果無価値は)一定の法益が侵害されたり、侵害されそうになっているという客観的事態が存在すれば、そこでは違法という評価が可能だと言われてきたのである。・・・ゴリラが住居に侵入したときでも、(人が住居に侵入した場合と)等しくその意味における結果無価値は肯定されるが、その種の事態を住居侵入罪の構成要件は予定していないのであるから、やはり処罰の対象は行為無価値が認められる行為といわなければならない」(84頁)。

・・・上で引用した前田先生の言う通り、正当防衛の「不正」と処罰の一般的要件としての「違法性」は別(前田336頁)、という方が説得的だと思うので、「ううん」と読むのが止まってしまいました。

 構成要件的故意を認める説であれば、違法評価の対象は必然的に人になると思うので、この批判は当たらないと思います。
 または、「実行行為(構成要件該当行為)に当たらない」とするだけなんじゃないかな。西田先生の実行行為の定義(未遂結果と相当因果関係を有する行為)、および、行為=自然的行為論からは、それが難しいかもしれませんが、「構成要件的故意がない」という理由からはもしかしたら難しいのかもしれませんが、いずれにせよ、『~した者は』と刑罰法規には通常あるのだから、構成要件該当性で落ちると思うんだよな~。
 違法評価の対象は「人=者」でしょ。対物防衛は、また別の話(「急迫不正の侵害」の解釈論だと思います)。井田先生の行っている議論は、通常、客観的違法論か主観的違法論かのところで出てくると思うのですが(西田119頁「(客観的違法論からは)違法状態の肯定」「『責任なき違法を肯定すること』が客観的違法論の帰結となる」)、山口99頁「(違法性とは)原則として、行為者の行為についての内心面とは離れて、客観的に判断される。このような違法性の理解を客観的違法論といい、現在では定説となっている」と。「行為者の行為について」違法性を判断するのだから、ゴリラの住居侵入行為について違法性を判断する必要はないと思います。このゴリラの行為に対して正当防衛が認められるかは、「急迫不正の侵害」に当たるか否かの判断、対物防衛の問題だと思うのです。

 前田46頁によると、客観的違法論を徹底すれば、動物や自然力による侵害(西田先生の例だとライオン、倒木)も違法たりうることになるとされています。この徹底した立場への批判なら分かるのですが。

「(結果無価値論だと)構成要件から主観的要素は排除される。・・・しかし、(構成要件の輪郭がより明確になることの)代償として(構成要件概念が)大幅に広がることになる」(85頁)。

・・・構成要件的故意を認めれば、この批判は当たらないな~。なんて軽く読み飛ばしちゃいました。
 たしかに、「窃取」「欺く」という概念自体、主観的要素が入っているよな~。

 以上、第4章まで読み終えた、個人的な感想。読み間違い・わたくしの理解の足らなさがあるかもしれません。でも、80~86頁は、慎重に読み進めないといけないな~。

 でも、「刑法規範による行為統制とそれを通じての一般予防」は、分かりやすい議論だと思います。

 ここまで読んでみて、法学・刑法の初学者には良いんじゃないでしょうか。色々な本を引用されていて、読書案内にもなっていて。こういう引用の仕方は、団藤先生ぽいと少し思ったり。

井田「講義刑法学 総論」その3(訂正 再UP①)

仕事が忙しく、全然読みすすめていません・・・。で、軽く書いた記事があったのですが、やはりしっかり検討してから書き直そうと思い、削除。

主に2つ、書きたいことがあったのですが、今日は、そのうちの1つ、挙動犯について

「住居侵入罪・暴行罪は挙動犯」
・・・結果無価値論者からすると、ここは読むのが一瞬、止まりますよネ。暴行罪が挙動犯というのもひっかかりました(暴行罪を挙動犯と挙げているのは、ほかに曽根先生くらい?注釈は持っていないので、分かりません・・・)。

 挙動犯の典型例として、偽証罪(団藤、大塚、大谷、町野、堀内、前田、山口、林、斉藤信治第5版75頁等)、住居侵入(町野、堀内、山口、林)、逃走罪(林)が挙げられています。
 西田先生は、赤信号無視(道路交通法119条1項1号の2)を例として挙げています。
 団藤先生・内藤先生も、行政犯にはその例が多いと述べています。
 なお、中山先生は、公然わいせつ罪を挙げています(115頁。口述の方ではありません)。

【挙動犯について~行為無価値論から

団藤128頁
 ;構成要件によっては結果の発生を必要とせず、単に行為だけを要素とするものがあり、この種の罪を単純行為犯と称するが、大部分の罪については、行為のほかに一定の結果が構成要件要素とされている。これを結果犯という(なお、注11で、結果犯と単純行為犯との区別を否認する学説の紹介があります=①主観主義の立場から、②論理的否認説)。

福田79頁
 ;構成要件には、単に行為(身体的活動)だけを要素とするものがある(挙動犯)。

大塚129頁
 ;構成要件には、行為者の一定の身体的動静のみを構成要件的行為とするものがある(挙動犯)。挙動犯は、行為者の一定の身体的動静によってただちに完成するから、その未遂を考える余地がない(大塚254頁)。

大谷126頁
 ;構成要件的行為として人の外部的態度があれば成立し、結果の発生を必要としない犯罪

【結果無価値論から(林旧版114頁=平野118頁に同旨)】

平野118頁(団藤先生のいう、論理的に否認する立場)
 ;犯罪は結果犯と行為犯(単純行為犯)に分けられる。これは、一見、結果犯では結果の発生が必要であるが、行為犯では必要でないという区別であるかのようにみえる。しかしそうではない。結果犯とは、行為の終了と結果の発生との間に時間的なへだたりがあるものをいい、行為犯とはそれがないものをいう、という区別にすぎない・・・。偽証罪も行為そのものを処罰するのではなく、行為によって審判を誤らせる危険な状態という結果が発生したから処罰されるのである・・・。しかし、行為犯の場合は法益侵害と行為自体が密接に結びついているので、いわゆる「自手犯」であることが多く、共犯などの場合には特別の考慮を必要とすることになる。

山口45頁
 ;行為だけで成立するかに見える犯罪(単純行為犯・挙動犯) は、行為と同時(ないし、ほぼ同時)に結果が発生する点において、行為と結果発生との間に時間的・場所的離隔がある犯罪(結果犯)と異なっているにすぎない。こうして、結果はあらゆる犯罪における構成要件要素(構成要件的結果)となっており、結果のない犯罪はないという意味で、犯罪はすべて結果犯である。結果を欠く犯罪という意味における単純行為犯の概念は否認されるべきである。

西田79頁
 ;単純行為犯=法益侵害を伴わない、あるいは、法益侵害の危険すらないもの。しかし、結果無価値的な立場からすれば、このような犯罪を認めることは妥当ではない。赤信号無視は、たとえ遠い危険であっても交通事故につながり、人身・人命の侵害につながるから処罰されると解すべきである。だとすれば、夜中に全然車の通っていない所で赤信号を無視して横断歩道を渡った場合、事後的にみて真に危険がなかったのであれば、抽象的危険すらないとして不可罰とする余地を認めるべき。

町野143頁
 ;客体の侵害が構成要件要素とされていない犯罪。結果犯においては、客体に生じた侵害結果を通して法益の侵害・危殆がもたらされることが、行為犯においては、行為が端的に法益の侵害・危殆をもたらすことが、それぞれ要請されていることになる。

堀内64-65頁
 ;構成要件上、法益の侵害もその危険の発生も要件とされていない場合。構成要件に定められた行為を行うことにより直ちに犯罪が成立する。しかし、行為犯においても法益の侵害や危険の発生がまったく不要なわけではない。行為犯では、行為と同時に法益が侵害されるか、あるいはその危険が生ずると解される。

前田96頁
 ;多くの構成要件は、行為と結果を明示的に要求する結果犯であるが、例外的に行為だけで成り立っているように見える構成要件も存する。ただ、挙動犯の場合でも、行為が法益侵害ないしその危殆化を伴っていることに注意。

わたくしは、結果無価値論者なので、平野説が説得的に思われます。どんな犯罪であれ、法益侵害ないしその危険は、必要なのではないでしょうか。国民にとって忌み嫌うべき刑罰を科すのだから。したがって、行為犯という概念は否定されるべきだと思います。

実質犯・形式犯という区別も、同様(平野118頁。デュープロセス違反と平野先生は言います)。

以下に引用する内藤210頁の説明が良く、本日のまとめ。
 ;「結果」との関係から結果犯と行為犯(単純行為犯または挙動犯ともよばれる)という分類がなされる。通説は、行為のほかに一定の「結果」の発生が構成要件要素とされる犯罪を「結果犯」とよび、「結果」の発生が構成要件要素とされず、単に行為だけを構成要件要素と犯罪を「行為犯」という(団藤・福田・大塚等)。そして、行為犯の例として、偽証罪・住居侵入罪などがあげられ、殺人罪・窃盗罪など大部分の犯罪は結果犯であるといわれる。この分類にいう「結果」の意味は必ずしも明白でないが、行為の客体に及ぼす有形の事実的作用という狭義の結果を意味するのであれば、行為の客体が構成要件要素とされていない犯罪がある以上(単純逃走罪、偽証罪。内藤206頁)、とくに問題はない
 しかし、この分類にいう「結果」が法益侵害・危険という「結果」を意味するならば、行為犯では法益侵害・危険が必要でなく、行為そのものを処罰することになるから、通説による分類の基準は妥当でない。「結果」を法益侵害・危険という意味に用いるときは、結果犯とは行為の終了と結果の発生との間に時間的間隔のあるものをいい、行為犯とはそれがないものをいうと解すべきであろう。行為犯とされる偽証罪は虚偽の証言が終了すると同時に行為によって審判作用を誤らせる危険という結果が発生するから処罰されるのであり、住居侵入罪も住居に侵入することによってただちに住居権の侵害が発生するから処罰するのである(平野118頁以下)。そして、行為犯は、偽証罪のように抽象的危険犯であることが多いが、住居侵入罪のように侵害犯である場合もある。

 なお、大塚先生の教科書からの引用で、挙動犯には未遂がない、というのがありました。しかし、住居侵入罪には未遂処罰規定があります(132条)(齋野77頁以下、79頁の注)。

 浅田先生の本は、あっさりしていました。「行為の終了と同時に犯罪が完成してしまう犯罪」(118頁)。平野説ですネ。

 久々に、団藤先生の本や平野先生の本を引っぱり出しました。タイプは違うのですが、文章が本当にうまいですよネ。

 そして、コネタ。団藤先生の刑法綱要総論(第3版)130頁注14の誤植。「山口厚・危険犯の研究(1950年)」。わたくしがもっているのは、2000年1月15日第3版第7刷(付・追補)です。
 え、昭和25年?山口先生3歳で(1953年生まれ)・・・。「危険犯の研究」は、1982年(昭和57年)に東京大学出版会から出ているので、いったいぜんたいどうして?刑法7不思議の1つか。

2008年12月 8日 (月)

井田良「講義刑法学・総論」その2

今日は、先ほどの記事にもあるとおり、映画を見ていたこともあって、そんなに読み進めることもできず、第1編を読み終えたところです。

「刑罰の回顧的側面と展望的側面」・・・一般的評論文を読んでいるかのような感覚。

「法益について」・・・刑法の任務として法益保護を謳いつつも、法益概念の不明確さから、立法規制機能には限界があるとして、憲法や行政法で用いられている『比例原則』(手段の適正、侵害の必要性、利益衡量)が有用であると示唆される(同じ慶應の小山剛先生の「基本権の内容形成」を引用しています)。

「刑法の基本原則」・・・行為主義、罪刑法定主義、責任主義を挙げています。行為主義をこんな最初に持ってくるなんて、目的的行為論への布石なのか?なんて思いつつ。行為主義の②の側面(たとえ何らかの外部的実害を生じさせたとしても、およそ人の意思による支配とコントロールの不可能な身体的態度に基づく場合には、それは犯罪とされてはならない)の根拠のところまでは、「刑法規範による行為統制」でグイグイ押してきます。

「刑罰法規の適用」・・・ちょっと、簡単に書いているような感じを受けました。でも、学生たちが読み進めていくためには、これぐらいにまとめるのが良いのかな?

これからやっと第2編の犯罪論。

講義刑法学・総論

井田良「講義刑法学・総論」有斐閣

講義刑法学・総論

昨日、ゲット。本日発売予定なのですが、わたくしの住む街の本屋さんに置いてありました。珍しい・・・。

「応報刑の枠内での将来の犯罪予防」が刑法の存在理由・機能である、ということから始まる。小学校のクラス担任が、悪ふざけをする子どもを叱る状況を例に出しながら・・・。と、大学での講義でこんな話をしているんだろうか、と想像してしまいます。分かりやすく問いかけてくる、そんな感じ。

まだ読み始めたばかりですので、今後、感想を書きたいと思います。ちょっと今日はもう眠いのでごめんなさい・・・・。

2008年12月 3日 (水)

自分へのプレゼント。

 刑法総論

 本文で1041頁。内藤先生の4分冊を思い出します。

 そしてついに、自分へのご褒美として、購入。

 ずっと迷っていました。初版の2分冊も持っているので、購入しなくても良いかな~と思っていました。ほかに伊東先生の刑法総論も読みたいし・・・。

 が、しかし、「絶版・重版未定」とゼブンアンドアイには出るし。でも、近くの本屋にはまだあったぞ、いまの購入して手に入れておかなければ、誕生日だし、えぃって。で、購入。

 ページ数は多いのだけれど、読みやすいですよネ。以外と記述が淡々としているところもあるし。

 成文堂のHPだと、まだ在庫はあるみたいです・・・。

 仕事はいまめちゃくちゃ忙しいのですが、がんばって読んでみますぜぃ。

2008年11月21日 (金)

林幹人「刑法総論(第2版)」東京大学出版会

以前に、林先生の「刑法総論(第2版)」は購入を検討したものの、購入しなかったという記事を書きました。はしがきに「全体の根本的な見直しは他日を期することとする」とあったからです。購入意欲を削ぐ「はしがき」だったので・・・。

わたくしは、本を購入するときに「はしがき」を読んでから決めることが多いんです。著者の意欲というか、パッションというか、そういったものを感じられると、ついつい購入しちゃうんです。

そんななか、先日、自分の住んでいる町の図書館に行くと、新刊コーナーに林先生の刑法総論が入っているじゃないですか。速攻で借りました。

読みたい本が溜まってきましたので、しばらくは本の購入は控えようかな~と考えています。今週来週と仕事が忙しいので・・・。時間をかけて、佐伯先生の法学教室の論文と並行して読みたいと思います。

刑法総論 第2版

2008年10月20日 (月)

大塚仁「刑法概説総論(第4版)」有斐閣をゲット。

昨日の新堂・民訴(第4版)に続き、今日19日は大塚仁「刑法概説総論(第4版)」(有斐閣)をゲット。20日発売予定なのですが、前日にゲットできました。わたくしの住む市の書店にしては珍しい・・・。

今日は仕事でしたので、まだ「はしがき」と本文を10頁ほどしか読んでいないのですが、旧版は読み切っていますので、第4版も早く読み切りたいと思います。読むべき本が増えて大変ですが、大塚先生もお年にもかかわらず、体系を少し変えられて第4版にされたのですから、頑張って読みます!

「基本的構成要件該当性の解説中、因果関係についての位置づけを構成要件的故意および構成要件的過失に後置させることとした。元来、実行行為は主観・客観両面の要素から成り立つのであり、その客観面に続いて主観面の要素である構成要件的故意および構成要件的過失を取り上げ、それらを一体化した実行行為と結果犯における構成要件的結果との関係としての因果関係について論ずべきである」(はしがき1頁)。

わたくしは、行為無価値論者ではないのですが、楽しく読みたいと思います。

今日のデール・カーネギー「こうすれば必ず人は動く」「第9章 友、遠方よりわざわざ来たる―ちょっとした方法が強力な磁石となって奇跡を生む」のなかから、成功ノウハウその10。

「人生は短い、しかし優しい心遣いを示す時間は常にある」「人に優しい心遣いを!」(126頁)。

「私たちのほとんどは、人に対してもっと心遣いを尽くす習慣を身につける必要があると思います。そして新たに良い習慣を身につけるには、常にそれについて考え、日々努力することが大切です。ですから、私たちみんなで、明日からもっと人に対して優しい心遣いを実践するようにしようではありませんか。『ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません』『そうしていただけますか』『お心遣い感謝いたします』『ありがとうございます』・・・・・・このような言葉を心を込めて、もっと使う習慣をつけましょう」(125頁)。

わたくしも、この点については、できる限り心がけています。しかし、自分に余裕がないとき(仕事でテンパっちゃって、いっぱいいっぱいのとき)は、難しいですよネ~。この章で出てくるエピソードに近いことは、自分が第一線の現場で働いていたときにやっていました。いまは、人と接するときに、その10を常に意識しなければいけませんネ。まずは、自分の気持ちに余裕を持たなきゃ。

2008年9月26日 (金)

林幹人「刑法総論(第2版)」東京大学出版会・・・購入せず。

昨日、今日と部下の誕生日が続くので、出社前に、TOWER RECORDSへ。DVDを2本購入。「ジョーブラックによろしく」「2001年宇宙の旅」。

「2001年宇宙の旅」を、今の若い子たちは見たことがないというので、購入。スーパーコンピューター「HAL」から、会社のパソコンの名前を「HAL」ってつけているんだけれど(あると思います)、その由来を今日知った職員も多い。

「ジョー・ブラックによろしく」は、ブラピ主演の映画ですが、アンソニー・ホプキンスに主役を奪われたような感じですネ。公開当時は、あまり期待していなかっただけに、アンソニー・ホプキンスの演技がとても良く、わたくしの好きな映画の上位に入る作品です。

とまあ、表題から外れていますが、DVDを買う前に、書店に行き、林幹人「刑法総論(第2版)」東京大学出版会を購入しようと思っていたのでした。法律の棚で見つけ手に取り、はしがきを読むと・・・・。

・・・ああいうはしがきを書かれると、購入意欲が削がれてしまいます・・・。改説部分は正当防衛のところのみ、内容の充実は他日を期すとのこと。また、山口総論、西田総論の引用も少ない(というか見つけられなかった)と思いました。謙遜が入っているにせよ、もう少し前向きなコメントが欲しいな~と思ってしまい・・・・。ということで購入するなら第3版になってからにしようと、来月下旬刊の大塚仁「刑法概説総論(第4版)」を先に買おうと決めたのでした。

刑法総論 第2版

2008年5月15日 (木)

刑法総論 刑法総論
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

結果無価値論を徹底しておし進めている本ということで、出版されたときから読みたいと思っていましたが、ようやく購入。はしがきからは、関西学派・学風に誇りをもってらっしゃることを読み取れます。

山口厚教授の本とは異なり、読みやすいですネ。まだ途中までですが、今後の議論の進め方、採られる学説に期待!