6月18日に衆議院をA案が通過しましたネ。ビックリしました。しかも、結構大差でしたネ。
わたくしは、以前から「臓器提供意思表示カード」を持っており、使えるものは使ってくれ~ということで、脳死が判定された場合には臓器提供OKにしてあります。カード以外にも、免許にも貼付してあります。
「死」についての色々な考え方はあると思います。
刑法上は、殺人罪等と死体損壊罪(190条)の区別、
殺人の既遂時期の確定等にとって重要な意義があります。
<?判定基準について?>
まず、心臓死説=三兆候説(総合判断説)(福田147頁、藤木189頁、大塚10頁、大谷9頁)、すなわち、自発呼吸の不可逆停止、脈(心臓)の停止、瞳孔反射機能などの停止の3点により心臓の死を判定し、それを以って人の死とする考え方が一般的でしょう。この3つの機能が相互に関連しており、いずれか1つの不可逆停止は短時間内(通常3~4分以内)に他の2つの機能を停止させるという関係にあるからです(生命のトライアングル)。また、現代の医学の水準においては、脳死の判定にはまだ不確実なものがあり(札幌医大事件)、死期を慎重に定めるには、なお、総合判断説に従わざるを得ない、とします。
これに対して、
脳死説(団藤377頁、平野156頁、西田9頁以下、林24頁)は、
脳の機能が不可逆的に停止した時と解しています。
実質的な対立点は、脳死状態からの臓器移植を認めるか否かにあります。
脳死説は、脳死者は死んでいるのだから、死体からの臓器摘出に過ぎない。
臓器移植をしなければ助からない人(レシピエント)と
脳死状態になれば自己の臓器を提供してもよい人(ドナー)がいる場合に、
ドナーからの臓器の摘出を殺人罪・同意殺人罪に問擬することには疑問。
この場合にも、あくまで心臓死を基準にし、
脳死体からの臓器移植を認めない立場は人道的にみて問題(西田10頁)。
三徴候説(⇒ 違法阻却説)は、脳死者は生きてはいるが、
死に限りなく近づいており、
移植の必要性と本人の同意があれば臓器を他人のために役立ててよいとします。
しかし、生きている人からの心臓の摘出が正当化されるとする点で
生命の質を比較することになるという問題が残ります(西田10頁)。
臓器の移植に関する法律(法104号。平成9.7.16公布、10.16施行)」の
6条1項の「死亡した者」については、以下の2説があります。
A説;死の概念として脳死説を前提とした。
B説;衆議院で可決された案における
6条1項の「死体(脳死体を含む。以下同じ。)」が
「死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」と
修正された経緯からみて、本法の解釈としては、
心臓死を前提としつつ、臓器移植の場合に限って、
臓器提供者(ドナー)の事前の自己決定と家族の同意を条件として
脳死を死と認めたものといわざるを得ない。
のような、いわば相対的な脳死説は、客観的であるべき死亡時期の基準としては疑問と言わざるを得ない、としています(西田12頁)。
参議院でも早く審議をしてほしいと思います。
それまで関心を持ってこなかったのにそんな批判はおかしいと思うのです。
この問題はかなり以前からあった問題なわけで。
議論が拙速だ、などという批判がありますが、
わたくしは、A案に賛成です。