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2009年12月13日 (日)

滝沢聿代「物権変動の理論Ⅱ」有斐閣

ようやく、手に入れました。12月はあまりにも忙しく、まだざっとしか読んでいませんが、民法改正の動きに対する滝沢先生の懸念(批判・・・)が書かれています。

「立法に対する禁欲があった長い年月の後に、法を変える自由に目覚めた民法学が、いとも軽やかにアイディアに満ちた変革の可能性に踏み込んでいることへの驚きと疑問はある。創造することへの恐れやためらいが必要ではないのか。そうでなかったら、あれほど繊細な努力によって解釈論への可能性を探ってきたこと、深慮に満ちた判例の法創造の後を辿ってきた研究の、全ての意味までが問い直さなければならないであろう。多様を極める社会の現実に働きかけながら、衡平を見出しつつ決断することへのむずかしさ、それはまさに法というものの本質に深く結びついており、立法だけがそこから自由であるはずがないと思われる」(4頁)。

また

同頁の注にも、民法176条・177条が残されようとしている理由を、民法改正委員会が「制度変革の社会的コスト」としていることについて、滝沢先生は「民法改正のあらゆる側面で指摘されうること」と批判しています。「制度変革の社会的コスト」とは、「改正による社会の混乱を避けるという観点から」のことです(10頁)。

10頁以下に、176条・177条の民法改正委員会案に対する滝沢先生の私見が述べられています。「そもそも現行民法は、制定とともに継続されるべき存在となったのであり、必要な時に必要に応じた改正がなされることにこそ意義があると考えられる。全面改正は、純粋に研究という観点からの課題としていただきたい」(11頁)。

その他、登記しなければ第三者に対抗できない物権変動を、「法律行為による物権変動」に限るとする点、第三者の範囲を「法律上の利害を有する第三者」と定義している点、不動産登記法5条を民法典に取り込もうとしている点、94条2項類推適用の維持などについても意見を述べられています。

「これだけ眺めてみた限りでも、民法改正ないし立法という仕事が含む、創造することへのの面白さ、難しさとスリルは十二分に理解できる。しかし、100年以上も同じ民法典が使われてきたのは、新しい民法をつくれなかったからではもちろんないであろう。民法改正において重要であるのは、どのような民法をつくるかよりも、なぜ改正するのかである。少なくともここでは、私は現行の判例法の核心を少しでも明文規定に取り込むことによって、民法典の内容をより正確、かつ明確にすることを考えるべきであろうと、その観点からの条文化を試みている。・・・
 かくして、民法解釈の仕事の中から、新に立法的修正が求められている事項を抽出し、的確に条文化につなげていく作業を、忍耐強く、かつ活発に継続しなければならず、そのような努力の先に新しい民法典への到達がありうるものと考えられる。」(13‐14頁)。

以上、序説からでした。

続いて、「民法176条・177条の意義」という論文が収められています。

滝沢先生の筆致が変わったな~という印象を受けました。ここは本当はいろいろと書きたいところなのですが・・・。

物権変動の理論 2

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