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2009年10月13日 (火)

家族の個人主義化について

家族法に対するわたくしの考え方は、二宮周平先生の本とほぼ同様です。

 家族法

 家族の形態の多様化(若い世代の独身率の向上、同棲・事実婚の増加、婚外子の出生率の増加、共稼ぎ夫婦の増加、性別役割分業の見直し、離婚・再婚の増加など)、行動形式の多様化に伴い、標準的な家族像が消失している。家族機能の人格化、個人の尊厳の重視、ライフスタイルに中立的な制度構築(個人単位化)は、家族の個人主義化と捉えることができる。家族を夫・妻・子などから構成される団体としてではなく、夫対妻、親対子、親族相語という個人と個人の関係として捉えることと結びついている。これは、家族を個人の幸福追求の場、自己実現を支援する場として捉え直すことを意味する。

 こうした家族の個人主義化に対しては、個人主義=利己主義として認識されがちなため、批判も多い。

 しかし、家族の個人主義化は、利己主義を意味するものではない。個人主義とは、生活の上で遭遇するさまざまな出来事について、他から決定されたり、指示されたりするのではなく、自分で選択していくことである。そのためには、自分で考え、決定できる能力が不可欠である。それは討議し、判断し、選択し、交渉し、取りうる行為のさまざまなコースに従うという能力のことであり、民主的な政治世界につながっている。こうした交渉過程では、相手方と対等な関係が築かれていなくてはならないから、他人への配慮を必然的に伴うものである(以上、10頁以下、とくに13-14頁)。

 「個人主義」という言葉を使うと、すぐに「利己主義」「エゴ」と同義に捉える人が多い。これは、憲法13条の「個人主義」と同じ文脈で捉えられるべきものである。とすれば、自己決定権を重視し、かつ、多様な価値観を認め、個人のライフスタイルの選択に中立的な立場である二宮説を支持したい。

 このような基本的な立場からすれば、選択的夫婦別氏制度、すなわち、別氏を望む人には別氏に、同氏を望む人には同氏という、選択の自由を広げる制度は、当然、支持される(12-13頁)。

 夫婦別姓(氏)が、なぜ「家族の崩壊を招く」「家族の一体感が損なわれる」「離婚が増える」ことにつながるのだろう。このような反対派の思惑について、二宮先生は、「選択制を通じて多様な家族観が肯定されることをおそれ、また夫婦別氏の主張に、女性の権利主張を感じ取っているから」と指摘する。

 また、こうも指摘する。「性別役割分業型の家族を標準的家族像とし、『女は家庭』『主人としての夫に従うのは当然』として、家庭機能の維持を女性に押しつけることができなくなるからである」(13頁)。

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