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2009年3月18日 (水)

石川健治「法制度の本質と比例原則の適用」プロセス演習憲法(第3版)273頁以下

森林法共有林事件の判決の解説です。静岡地裁の第1審、東京高裁の第2審、最高裁の判旨(補足意見、意見、反対意見も)をまとめ、その後、基本解説、応用編(確認質問・応用問題)、理論編(展開問題)と進んでいく構成です。

まず・・・森林法判決を「違憲審査基準」に着目する見解=従来の学説(判例理解)には根本的な問題があり、法学教育上にも問題がある、と指摘します。
いわゆる二重の基準の理論は、精神的自由の裁判的保障のために導入されたものである反面、経済的自由については研究が疎かになってきた面があり、むしろ判例が先導的役割を果たしてきた、とします。そのため、経済的自由に関する判例については、薬事法判決の立法事実論的アプローチという側面において、解釈論の枠組みに採り入れられることとなったが、その他の憲法論の重厚な論理構成については、「杜撰」といってもよい理解しか示されなかったとします。
財産権においても二分論が妥当するという理解については、以下の2説が補強していると指摘。田中二郎教授の「公用収用理論」(二分論)や香城理論(規制目的の消極性・積極性、規制態様の直接性・間接(=付随)性の2つの座標軸から4象限に判例を分類)。しかし、森林法判決によって二分論を含む規制目的類型論の普遍妥当性は覆されたと。にもかかわらず、「二分論」が、なお「経済的自由」全般を貫く判例理論として取りざたされているのは、もはや単なる「思考の惰性」でしかない、と批判。

石川教授によって森林法判決を読み解くと・・・
① 憲法上の権利に対する規制の合憲性が正当化されるかどうかは、「これを一律に論じる」のではなく、具体的な規制措置に即して、規制目的が正当であるかどうか、また、目的を達成するための手段として当該規制が「必要性」と「合理性」を有しているか、という観点から検討する必要がある。
② その判断は、第一次的には立法府の裁量に委ねられている。
③ 裁判所としては、合理的裁量の範囲を逸脱・踰越しているかどうか、という形でのみ、「目的」の正当性と手段の「必要性」「合理性」についての立法府の判断を検討することが可能となり、「目的」と「必要性」・「合理性」は、裁判所による裁量統制基準として考慮すべき要素ともなる。

そして、立法裁量に対する裁判所の統制の密度を左右するのは、具体的な規制の目的・対象・方法等の性質・内容に照らして抽出される、「事の性質」如何であるとする。

事の性質とは、森林法判決では、法制度としての「共有」についての理解です。

立法裁量の統制を考えるための要考慮事項として、立法目的の正当性と、その達成手段として採用された具体的な規制手段の「必要性」と「合理性」が挙げられている。
必要性については、2通りの用法があり、①「手段の必要性」=「必要最小限度性」、②「目的の必要性」である。
前者は、目的を達成するためにひとしく有効な、その意味で目的と合理的な関連性のある手段が複数あるとして、そのなかで最もマイルドな最小限度の手段を選択することを求める、というもの。そして、さまざまにあり得る合理的な規制手段のレパートリーの中で、被侵害法益である憲法上の権利に対して最も侵害的でない規制手段を選ばなかった、というだけで立法府を非難しようというのであるから、そこまで裁量統制の密度を高めるに足る「事の性質」がそこには存するはずである
(この事の性質によって必要最小限度の要件の具体化の例として、営業許可性、猿払判決を説明

このように「必要性」の用語が混乱しているが、前田雅英教授の「刑法総論講義」の正当防衛に関する必要性と相当性の整理と図解は、きわめて示唆に富んでいるとしています。たしか、法学教室の中でも、同様の指摘をしていたし、客観的帰属論の話もしていましたネ。

必要性には2つの意義が存在するが、「不必要な立法ではない」という程度の意味での目的審査は実益をもたないので、結局は「必要性」の用語は、「手段の必要最小限度性」という意味に収れんされていくべきものであろう、と。

合理性についても、2つの異なる用法の存在が認められ、①立法府の合理的裁量という用法、②「手段の合理性」=合理的関連性という用法である、と指摘。
前者については、「理性に照らして正義にかなっていると判断できる」という実体的正義の観点で用いられるのに対して、後者は、「この手段を用いれば目的を一応実現できる」という程度の最小限度の合理性である。目的を実現するのにそもそも役立たない手段、目的に適合的でない手段をはじくために消極的に用いられている。
この「手段の合理(的関連)性」という意味での「合理性」は、「手段の必要(最小限度)性」に比べ、かなり緩やかな要件となっている、と説明。

森林法判決の最後に出てきた「比較衡量」論すなわち「得られる利益と失われる利益の均衡」という要件に、手段の合理性、手段の必要性、という3つの要件で国家による過剰規制をコントロールしようとする考え方は、行政法学にいう「比例原則」と呼ばれてきたものに相当する。行政権よりもハードな国家権力である刑罰権を扱う刑法学においても、類似の発想・用語が見られる。こうした用語を憲法学でも採用するなら、最高裁判所の憲法判断の基礎にほぼ盤石のものとして据えられているのは、比例原則であるといえるのではないか、そういう眼でさまざまな憲法判例を読み直してみるのは、興味深い企てである、としています。

森林法判決で、少なくとも経済的自由については、「二分論」ではなく「比例原則」が基調であるが、その具体的適用のあり方は、「事の性質」によってさまざまに変化し、統制密度を高めたり低めたりするのである、規制目的による「二分論」も、森林法判決で変更されたのではなく、それが用いられるかどうかは、「事の性質」次第である、と説明しています。

なお、森林法判決の判決文を、
(a)憲法29条の保護範囲
(b)基本的人権たる財産権の制約を正当化する事由
(c)立法府の裁量と裁量統制基準(比例原則)
(d)本件において考慮を要する「事の性質」
 ① 問題となる国家行為(森林法186条)とそれに起因する権利侵害(民法256条1項が定める共有分割請求権の否定)
 ② 森林法186条によって「制限される財産権の種類・性質等」
 ③ 憲法29条の保護範囲(「憲法上の財産権」)と森林法186条の合憲性を正当化する事由(「公共の福祉」との適合性)
(e)「公共の福祉」との適合性その1(立法目的)
(f)「公共の福祉」との適合性その2(立法目的達成手段としての「合理性」と「必要性」)
 ① 手段としての合理性
  i)森林の「共同経営」(目的的団体」の形成/共有者「相互」の権利義務関係の強化)と、森林の「共有」との合理的関連性
  ii)「森林経営の安定化」と、共有森林の「管理」「変更」行為の否定との合理的関連性
  iii)「森林の細分化防止」のために、「持分価額の2分の1を超えない」「遺産に属しない共有森林の分割」を禁止することの合理性
 ② 手段としての必要性
  i)2分の1を超えない共有者からの分割請求に限って、森林の細分化を防止する必要性
  ii)範囲・期間無限定の分割禁止を行う必要性
  iii)現物分割を(民法258条)を否定する必要性
  iv)まとめ
(g)比例原則の適用-裁量権の逸脱
★あてはめ
というように、整理しています。いま流行り(?)の三段階審査が少し分かるような分からないような・・・。

刺激的な書き方をしますネ。若いなーというのが第一印象。棟居快行教授の指摘(たとえば、棟居快行・小山剛「経済的自由権の規制二分論」(憲法学説に聞く第7講)なんて、読みやすくて分かりやすいと思います)を、理論化していく過程なのかな~、と。

そして、憲法の争点や、法学教室の連載へとつながっていく、その思考過程が分かるかな~と思います。

この「プロセス演習憲法(第3版)」(信山社)は、もっと評価されて良い本だと思います。

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