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2009年2月12日 (木)

西田典之「刑法総論」弘文堂を再び読んでいます。

西田典之先生の「刑法総論」を再び読んでいます。

法律学講座双書 刑法総論

まず、誤植情報。気づいたものだけですが・・・。

71頁(1)身分犯2行目「ものもがあり」→「ものがあり」

97頁12行目「客観的説」→「客観説」

116頁注8)4行目 鎮目征樹准「刑事製造物責任における不作為反論の意義と展開」→「刑事製造物責任における不作為犯論の意義と展開」

読みやすいですよネ。2001年度の講義テープを起こしファイル化したものに加筆・訂正したものということですので、読みやすく分かりやすいです。「共犯の部分が論文集のようなものになっている」とのことですが、そんなことはなく、読みやすいです。判例も多く掲載されており、刑法の理解には欠かせないのではないでしょうか。

ただ、刑罰論・罪数論・刑法の適用範囲などはあっさりしすぎなので、別の書による補充が必要です。刑法6条も・・・。

刑法は裁判規範であるが、その当然の前提として禁止規範(行為規範)を含むものである(5頁)。

刑罰の本質は応報としての害悪苦痛であるが、その目的は犯罪の防止である(相対的応報刑論)。刑罰の目的は法益の保護・犯罪の抑止にあるが、あくまで刑罰の歯止め応報刑論を取り入れる。また、相対的な意思の自由を前提として、刑罰を犯罪に対する責任非難として理解することになる(18-19頁)。

ここで佐伯先生の法教283号43頁以下の「国家レベルでは予防刑論、個人レベルでは応報刑論」という使い分けを疑問であるとしています。佐伯先生の考え方も以前にレジュメ形式で載せましたが、納得できる理論なんですよネ。

一定の禁止規範には必ずその目的があり、それは法益の保護である。それゆえ、刑法の規範は、何が刑罰をもって保護すべき法益であるかを決定する評価機能をもち、その評価に基づいて禁止・命令を発する命令機能をもつことになる。このように、刑法の任務の第一は、現在の社会における重要かつ基本的な価値・法益の保護である。とすれば、犯罪の本質、すなわち処罰根拠は客観的な法益侵害という犯罪結果、またはその結果発生の危険に求められることになる(法益侵害説。結果なければ犯罪なし)(29頁)。

刑罰とは、人間の規範違反的行為をコントロールするための「最後の手段」である(31頁)。

刑法は、さまざまな価値観の共存を保障しなければならない。そのため、いかなる価値を保護していくべきか否かの選択基準としては、他人の法益・生活利益を侵害する行為であるか、他人に害を及ぼす行為であるかということが基本とされるべきである(32頁)。

刑法の第一次的機能は法益保護の機能であるが、第二次的機能として、国民の行動の自由を保障するという機能をも有している(37頁)。

刑法とは、刑罰という制裁を予告することによって、人間の行動を犯罪を犯さないようにコントロールするシステムである。それゆえ刑罰法規は行為の事前に告知されなければコントロールの機能を発揮できないことになる(罪刑法定主義)。しかし、いかに事前に罪刑が法定され予告されていても、具体的な場合に行為者の心理を通じて規範によるコントロールの可能性がなければ、刑法は機能しえないし、機能すべきではない。刑罰の目的が犯罪の予防にあるとしても、刑罰の本質が応報である以上、行為者に対する非難可能性・他行為可能性が必要である。だとすれば、禁止規定が事前にあったとしても、具体的行為時に、行為者が主観的に行為を回避する可能性を有していたことが必要である。すなわち、故意・過失が必要なのである。このように、ある行為を処罰するには、当該行為を回避しえなかったことについて格子屋を非難できることが必要である(責任主義)(41頁)。

このあとの42頁の説明も良いですネ。罪刑法定主義は客観面において国民の行動の予測可能性を保障する原理、責任主義は主観面において国民の行動の予測可能性を保障するものなのである。責任主義は、国民が、いつでも犯罪者として糾弾される可能性をもつという “立場の互換性” の見地からも、セーフティネットとして要求されることになる。

犯罪論の体系は、①構成要件該当性(罪刑法定主義より)→②違法性(法益保護原則)→③有責性(責任主義)の順番で段階的に判断される。犯罪論の体系は、犯罪の成立要件を明確にし、裁判官ひいては捜査・訴追活動に携わる警察官や検察官の判断をコントロールして刑法の適用を適正なものとすることを目的としているのである。また、形式的な判断から実質的判断へ、客観的要素の判断から主観的要素の判断へ段階的に進めることによって裁判官の判断の適正さを担保しようとしている(58~61頁)。

 構成要件該当性を独立の犯罪成立要件とし、犯罪とは、「構成要件に該当する違法かつ有責な行為であるとする三分的犯罪論体系が通説である。犯罪の主体、結果、故意、過失、一定の身分、主観的要素、構成要件的状況、客観的処罰条件が構成要件を形成する要素である。このように、構成要件はさまざまな要素から形成されている。そして、構成要件が可罰的な行為の類型である以上、これらの要素も、行為の違法性または有責性のいずれかと関係するものである。その意味で、構成要件は違法・有責類型なのである。
 構成要件に該当しただけでは違法性・有責性が推定されたとは言えないとする行為類型説は、違法推定機能を否定するために、かえって違法判断において構成要件外の倫理的判断を考慮する余地を残すし、反対に、可罰的違法性のない行為までも取り込むことになって妥当でない。
 違法行為類型説は、①結果無価値論から、故意・過失は責任要素だから構成要件に含まれないとする平野・山口説、②行為無価値論から、故意・過失は当然に違法要素としての構成要件要素であるとする見解に分かれる。
 ①説は、構成要件の犯罪個別化機能が失われると②説から批判されるが、①説は責任の段階で区別される以上、本質的な難点とはいえない。むしろ、①説の問題点は、構成要件を違法行為類型と解したうえで、構成要件の故意規制機能との理論的結合を図るところにある。たとえば、証拠隠滅罪・常習賭博罪・偽造通貨収得後知情行使罪などにおける主体の限定には、行為者に対する非難可能性・期待可能性の欠如や減少が類型化されているといわざるを得ない。だとすれば、これらの客観的責任要素を構成要件要素ではないとして、これを故意の対象から外すことは不当だと思われる。行為者が自己の刑事事件の証拠だと誤信して他人の刑事事件の証拠を隠滅した場合、証拠隠滅罪の故意は否定されねばならない。
 そこで、違法・有責行為類型説を採用することになるが、この説も、①故意・過失を責任要素であるとともに構成要件要素であるとする見解(前田・曽根・佐伯)、②故意・過失を違法要素・責任要素・構成要件要素であるとする説(団藤・大塚・大谷)などに分かれる(その他、町野説)。②説が同一の要素を違法要素であるとともに責任要素であるとする点は区別の実益を失わせるものであって妥当でない。
 犯罪論体系の判断の順序については、違法構成要件該当性の次に違法阻却を、責任構成要件該当性の次に責任阻却を判断する見解を採用する(構成要件的故意の否定)。故意・過失などの主観的要素、証拠隠滅罪における「犯人であること」などの客観的要素は責任構成要件の要素と解するものであり、違法構成要件と責任構成要件の組み合わせによって犯罪類型が形成される。
 犯罪が可罰的な違法行為・有責行為の類型である以上、構成要件も当然に違法構成要件と責任構成要件が組み合わされた違法・有責行為類型でなければならない。その場合、客観的責任要素は当然に故意の認識対象に含めるべきであるから、故意規制機能という点からみても構成要件を違法構成要件に限定することは妥当でない。また、故意・過失も可罰的な責任を類型化するものであるから、やはり責任構成要件の要素と解すべきである。
 構成要件理論を上記のように解する実益は、①保障機能の堅持、②犯罪個別化機能の維持、③刑訴法335条に対応する訴訟法的機能、④ブーメラン現象の回避(構成要件的故意の否定)、⑤保障機能を共犯の領域においても確保できる点、にある(65-70頁)。

とりあえず、ここまで簡単なまとめ。読んでいるのはもっと先に進んでいるのですが・・。

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